JA1052
ぼくらは高空歓声隊
初代営業部長
1990年代、私たちは大手玩具メーカーの下請けとして、家庭用ゲーム機のゲームなどをせっせと作って
いました。
時代はバブル崩壊の真っただ中。
下請けの仕事は減りに減って、「おそらくあと半年で仕事が無くなるなぁ…」という状況でした。
「最後に1本だけ自分たちの製品を世に出して、それで終わりにしよう!」
その一言から、ゲームは10本に1本しかヒットしない世界である、と知りながらも果敢にチャレンジを
始めました。
下請けの仕事は(無謀にも)全て断りますので、資金が一方的に減っていきます。
製造費用なんかを差し引くと、開発に使える期間はたったの6ヶ月。
その間に重ねた会議で意外にも飛行機好きが多い事が判明。
「知らないもの作るより、知っているもの作る方が良いね」という単純な理由でテーマは飛行機に絞られます。
飛行機と言えばやはり王道はフライトシミュレータですが、フライトシミュレータは高度な知識と膨大な開発
期間が必要ですし、言うまでもなく世界中に強豪がひしめく世界です。
アイデアを求め、大阪伊丹空港の滑走路端にある航空ファンのメッカ「千里川土手」に何日も通い詰めました。
そんな日が何日続いたある日、一人がポツリ。
「パイロットはいいなぁ、あんな自由に空を飛べて」
すると一人がそれを否定します。
「違う!飛行機は全て管制官の指示で動いているんだよ。ほら、あの管制塔にいるんだ。」
この説明にもう一人が目を輝かせました。
「それってパズルゲームになるんじゃない!?」
そう、これが「ぼく管」が誕生した瞬間でした。
わざわざ京都から大阪まで飛行機を見に行きましたが…それは単に京都に空港が無かったから。
「そう言えば三重県にも奈良県にも滋賀県にも空港はないね?」
「でもそんな場所でも航空ファンはいるよね?」
「航空ファンがいつでも好きなときに飛行機を眺められたら、どんなに素敵だろう!」
【いつでも好きなときに空港へいけたら・・・】
今でも引き継がれる「ぼく管」のコンセプトが生まれた瞬間です。
そして1998年の秋、「ぼく管」は発売され、幸運にもヒット作の仲間入りを果たしました。
「次作はいつ出るの?」という全国の航空ファンの声が私たちの背中を押します。
それから20年…
気付けば、「ぼく管」を遊んでくれていたユーザの中からパイロットや航空管制官が誕生しています。
さて今夜はどこの空港にお出かけしますか?パソコンの中ですけど。